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『座力』について
「いろいろな力があるもので、『座力』というものがあるのを知った。
学者や芸術家はたいへんな体力を必要とする。重い本や道具を移動させることのほか、何と言っても長時間椅子に座っている脳力が欠かせない。それを『座力』という。
国語辞典には載っていない。日本にはなかったことばなのだろう。
古くからのヘブライ語で、かの地では、幼いころから聖書の勉強で「座力」が鍛えられるという。
詩人の長田弘さんの近著に「読書のための椅子」という章がある(「読書からはじまる」NHK出版)読書の達人が「読書のためにいちばん必要なのが何かと言えば、それは椅子です」と論じている。「いい椅子を自分の日常に置くことができれば何かが違ってきます」と。(後略)
=朝日新聞・天声人語 [2002.1.1]より引用=
はじめて聞いた『座力』ということば
自分自身の遠い記憶のなかにある「座る」については、日本家屋のライフスタイルから言うと、お座布団におっちん(正座)することでした。
そのためか、椅子を生活道具(環境家具)として、意識することがあまりなかったため、姿勢をただすことや、身体の軸を立てることなど、身体発達のプロセスと脳の力のつながりから「座る」ことを考えてみるという発想のおもしろさに思わず引き込まれて読んでしまいました。
「座る」ために欠かせない「力」を、身につけていく…と言う発想の意外さから、改めて「椅子」そのものの存在が気になってきたのです。
人は楽に「座る」ことができるようになれば、身体を椅子に預けるだけで、両手も自由に使えるようになります。
そこには、直接、肌に触れて伝わる安心感や、目には見えないものに寄せる信頼関係の形成にまでつながる不思議な力の行き来を感じるです。
やさしさや安心感、信頼……ことばでは補いきれないような感覚を、どこかで感知しているからでしょうか、これらがつながっていったとき、人は思いもよらない生命の「力」を発揮します。
こうした感覚のひとつ・ひとつは、遠く、わたしたちの生命が宿った瞬間から、求めている感覚かもしれません。
肌触りや、温もりや、安定感…、など、身体の声に耳を傾けてみると、感覚が研ぎすまされていくなかから生まれる、しなやかな秩序感のある身体の営みの声が聞こえてきます。
「座る」ことの力が整っていくその道すがら、人はどのような自分と出会っていくのでしょうか…?!
「座力」ということばとの出会いから、
わたしの「ならのこ物語」がはじまります。 (つづく…)
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